はじまりの物語



今、この文章を書いているのが2011年12月31日、大晦日。
2011年を振り返る時、やっぱり最初に振り返ってしまうのが3月11日、東日本大震災の忘れられないショックだ。

テレビから流れる被災地の惨状は、現実で起きている事とは信じられない程で。
被災地から数百キロ離れていた僕が住む飛騨高山でも、その揺れは感じられる程のモノで、
その衝撃は今でも鮮明に残ってる。

と同時に、その瞬間から意識しだした「自分でも何かできないか」という
今の日常への感謝を再認識し、不運にも被災された方への微力でも僕が力になれないか…という想い。
それは留学経験を通してずっと意識していた、日本人としての誇りからくるものかもしれないし、
もしかしたら、ちょっとズレた英雄になりたいという想いだったのかもしれない。

何にしても、僕は力になりたかった。


飛騨高山という場所は観光地として成り立っている。
観光業で多くの人が生計を立てていて、刺し子を生業としている僕らも、その観光客の方に刺し子を知ってもらう事で
日々の生活の糧を得ている。
観光地に人が来てくれなかったら、生活ができない。
刺し子を直に触って、感じて、知って、理解してもらえない。

震災直後の日本国内の混乱は、今ここでもう一度説明するまでも無い程、混沌としていた。
勿論それは、暴動や略奪といった一般的にイメージされる混沌ではなかったけれども、
「自粛」という経済を根本から破壊してしまうかもしれない流れがあり、
多くの業種が苦しい経験をしていたと思う。それは観光業も同じ事、製造業も同じ事。

僕は家族と家業という守るべきものがあったから、現地への長期ボランティアができなかった。
短期ボランティアも行動に移せなかった。
いろいろ言い訳はできるけど、行動に移せなかったのは事実だし、あるいは保身的な想いがあったのかもしれない。
現地に行っても何もできないんじゃないか。
僕がすべき事は他にあるんじゃないか。

その想いはきっと間違っていなくて、
義援金を継続して送ったり、物資を送ったり、また市内の経済が停滞し崩壊してしまわない様に
いろんなプロジェクトを立ち上げてみたりっと、動ける事は動いてみたと思う。
ただ、どこかで、現地へ直接行って支援できない事に引け目を感じていた。
アメリカに嫁がいる関係で震災から二ヶ月後にはアメリカに行く予定になっていたから
限られた時間の中で何ができるか必死に考えていた。考え、そして悶々としていた。

「…もっと、僕にできることがあるんじゃないか…」っと。


渡米して、そんな事をぼんやりと、でも強く思っていた際に届いた注文メール。
それは、この大槌復興刺し子プロジェクトを立ち上げた5人の内の一人、小杉さんからの注文メールだった。

糸の注文。
「大槌復興刺し子プロジェクト」の文字。

大槌?復興?刺し子??

復興支援と刺し子という二つのキーワードが全く頭の中で一致してくれなくて、一瞬手が止まってしまった程。
でも、あの岩手県大槌町で、刺し子に関連した復興支援プロジェクトがある。
それが事実ならば…っと、早速立ち上がったばかりだったウェブサイトを確認し、
直ぐに小杉さんにメールの返信を書いた。

「刺し子で生計を立てているものですが、何か協力できる事はないですか?」

そのメールを凄く喜んでくれた小杉さんは、直ぐに代表である久保さんとミーティングをセッティングしてくれた。
注文のメールが届いてから数日、アメリカと東京を繋ぐSkypeミーティングが行われる。

そのミーティングで、東京の有志の皆様の覚悟と行動力、そして聡明さに心から尊敬を覚え、
僕でできることであれば、なんでも協力しますっとお約束をする。
そして、そのプロジェクトは刺し子未経験の方々が始めたプロジェクトだったから、
僕と、僕のバックグラウンドである本舗飛騨さしことして協力できる事は沢山あった。

そう、僕にできることをこのプロジェクトは形にしてくれた。
僕ができること。そして僕にしかできないこと。


そのミーティングの直後の週末、小杉さんが飛騨高山まで足を運んでくれる。
そこで、プロジェクト支援を担当する弊社スタッフと刺し子職人と意見交換をして頂き、
こうして今日の「大槌復興刺し子プロジェクト」x 「本舗飛騨さしこ」の関係がある。


奇跡のような話。
でも、その奇跡が集まりに集まって、このプロジェクトは形になっている。
まるで奇跡が当たり前に作られているような感覚。
それはきっと奇跡じゃなくて、東京の5人の有志の行動力と僕の願いが呼び寄せた”形”なんだと思う。

その後、運営母体を確固とする形で、NPOテラ・ルネッサンスが日常業務を引き受ける。
その理事の鬼丸さん、現地スタッフの方もわざわざ弊社にお越し下さり、お互いの想いやできることを確認する。

一連の流れの中、勿論多くの課題も出てきて、
ヒトツひとつ解決しながら、11月上旬、やっとの事で僕自身が大槌町の刺し子の皆さんにお会いする事ができた。

この僕の大槌滞在については、別のページに滞在記として纏めてあるので、一読頂ければと思う。

これが始まりの物語。
大槌復興刺し子プロジェクトと、本舗飛騨さしこの二ツ谷淳としての出会いの物語。


そして、これにはもうヒトツのストーリーがある。

これまでに多くのブログやメールマガジン等で書いてきた事だけど、もう一度整理したい。
整理したい事とは、僕がこのプロジェクトに関われている事への感謝、だ。

ずっと何かしたかった。
不条理に破壊されてしまった被災地の皆様の気持ちは、僕ではきっと理解しきる事はできない。
それでも、心理学博士の嫁を持つ身として、
多くの心理学関係や歴史の本を読んでディスカッションを繰り返してきた身として
高校卒業後、アメリカに留学して日本を外から見続けてきた身として、

僕にもできることがあるはずだ…っと思い続けてきた。

その僕の悶々とした想い(願い)を形にしてくれているこのプロジェクト。
例え僕が思いついたとしても、それを形にするだけの能力も覚悟も無かっただろうし、
そもそも、刺し子が復興支援になるなんて思いつきすらしなかっただろうから。


感謝の気持ちは他にもあって。
家業であるこの刺し子制作業に入って3年。
日本の手工芸や民芸は、いざなぎ景気を通っても改善される事は無く、寧ろ悪化の一途だった。
勿論、上手に経営されてらっしゃる手工芸の方々や、民芸の方々もいらっしゃる。
ただ、岐阜の繊維業が衰退してしまっているのと同じ様に、岐阜の高山の刺し子業も毎年厳しさを増すばかりだった。


その厳しさは今でも変わっていない。
営業努力をし、経費を節減し、その中でなんとか会社組織が守られている形。
それは僕の使命であり、家族を、長年お世話になっている従業員を、そして文化を守りたいという想いが
僕を突き動かしている。
それがなかったら、もう既に飛び出してしまっているレベルだと思う。
あるいは、きっと戻ってきてないな…っと。


ただ僕は、「文化は残す」ものではなく、「文化は残る」ものだと信じている。
国や公的機関からの支援を受けた「文化」は残してもらえると思う。
そんな中で、これは甘っちょろい理想論かもしれないけれど、
文化は人々の中に息づいて、知って頂いて、実際に理解頂いて、結果として「残る」べきものだと信じてる。
そこに生活する人々の中に、その文化への存在意義があるからこそ、文化は残る。
存在意義がない文化は残しても仕方がないんじゃないか。
ある意味では極論かもしれないけれど、こう信じている僕は、これを更に逆説として捉えていた。
この大槌復興刺し子プロジェクトに出逢う迄は。

簡単に表現してしまえば、僕は刺し子に対して少し懐疑的な想いを抱いてしまっていた。
営業努力をしても(それは限られているとは思うけれど)売上げが右肩下がりという事は、
もしかしたら人々は刺し子を必要としてないのではないだろうか…、と。
つまり、刺し子の存在意義を疑い始めていたのが2011年の頭の時期だ。

と同時に、留学後に得た安定した生活を捨て、こうして家業に戻ってきた僕自身の、
刺し子に携わる人間そのものとしての存在意義も見失いかけていた。
はっきり言ってしまえば、刺し子の世界に飛び込んだ事を後悔しかけていたと思う。

僕は刺し子のプロじゃない。まだまだ僕の作品は皆様にご提供できるレベルじゃない。
僕はデザインのプロじゃない。勉強もしたことないし、センスも酷いものだと思う。
僕は一般的に言われる経営の(資金繰り等を含めた会社運営の)プロじゃない。分からない事だらけだ。

ただ、ヒトツだけプロだと思える事がある。
それは刺し子の事業を作り、運営させる事。仕入れから販売までを一貫してマネージングする事で
三年間、刺し子の市場を駆け回ってきた。

それでも売上げが上がらないのは、僕の力が足りないから…もしくは刺し子そのものが必要とされていないから…?

どちらにしても、僕は「存在意義」を失いかけていたんだと思う。


そんな中でこのプロジェクト。
僕にしかできないことを必要としてもらってる。
刺し子を作り続けて40年の会社のノウハウやアイディアを必要としてもらってる。
これほど、「存在意義」を肯定してくれる言葉はない。

折れそうになっていた僕の願いを支えてくれたのが、この大槌復興刺し子プロジェクト。
これが、僕としての、本舗飛騨さしこの二ツ谷淳としての、もうヒトツの始まりの物語。



今でもこの感謝の気持ちは変わっていない。寧ろ膨張しているほどだ。
と同時に、東京の立ち上げメンバーの有志の皆様への尊敬、
テラ・ルネッサンスへの共感と尊敬、
そして現地で頑張ってるスタッフへの労いの気持ちは常に持ち続けている。

11月上旬の大槌訪問で、この感謝の気持ちを超える大きな感情が湧いてきた。
それは、
「刺し子をしている現地の刺し子さんの笑顔を守りたい」
という純粋な応援の気持ち。

あれだけの被害の中で、笑顔で刺し子をして下さっている刺し子さんと直接話をさせて頂き、
「刺し子をすることで、嫌な事を忘れられる。このプロジェクトは生き甲斐だよ」
という言葉を耳にした時には、涙が止まらなかった。

嬉しいとか、有り難いとかっていう言葉で表現できる感情じゃなく、
温かくも柔らかい感覚が僕を包み込んだ瞬間だ。

ここでヒトツの覚悟を決める。僕は、このプロジェクトに半永久的に関わって行く。
そのためにデキルことは可能な限り行っていく。
そしてそれは2012年1月末からの現地滞在(スタッフ兼アドバイザーとして)として形とすることができた。

そう、2012年から始まる続きの物語。
大槌復興刺し子プロジェクトとしての、本舗飛騨さしこの二ツ谷淳としての、第二幕。

今後とも大槌復興刺し子プロジェクト共々、応援と支援の程、宜しくお願い致します。
皆様に穏やかな一年が訪れます様に、心からお祈りを申し上げながら。


2011年大晦日
本舗飛騨さしこ 二ツ谷淳